基山の麓を通る古代の官道「城の山道」

基山(基肄城)は、白村江の戦の後に築城された朝鮮式山城あと。400m級の山で登りやすい山で登山道は7つあると地元のお母さんがいわれていた。これらの登山道は、基山町からのものが多く、大宰府からの道は天拝湖からの九州自然歩道か鳥栖筑紫野道路の原田ICからの道が主なものです。しかし、古書等から大宰府から基山北峰への道、東北門への道、大宰府から肥前への官道あるといわれ興味をひきました。
1図は木の国文化会-平成8年創刊木の国の抜粋です。この城の山道を辿ったのが2図です。現在の幹線は3号線ですが、古代においては低地は避け丘陵の地形を好んで道を選んだようです。他説では、東北門を経由したという説もあるようです。2図は、筑紫野市から東北門へは、鉄塔の管理用道と思われるの赤テープがあったので、それに沿って歩いたが道らしき道もあるが、土砂崩れで全く道がない所を通ったが途中石積みの箇所が何か所かあり、昔は砦があったように思われた。
1図
2図 21.03.19 https://yamap.com/activities/10308612

3図は、基山の北寄りのある荻原山(地図に標記無い山)も興味があり、城の山道の峠から登頂して東北門へ歩いてみた経路です。ここで城の山道の筑紫野市と基山町の間には2つの峠があります。3図で言うと①と②があり両国峠? 西国峠?がありますが峠の名前がはっきりしません。また1図によると火の尾と言われる古代烽火台は3図③です。しかし他の書によると①の峠傍にある269㎡の山が烽火跡とも言われている。また、坊住山という説もある。現在は植林がされているので眺望がわかりずらい。
3図 21.04.02 https://yamap.com/activities/10484983

城の山道、荻原山から東北門へ